アンティークの魅力

洋の東西を問わず、多くの家庭には、代々受け継がれる品々があります。宝飾品や美術品はもちろんですが、何といってもアンティークの醍醐味は土地や年代によって多岐にわたるグラスや陶磁器、銀器などの道具類にあります。
アメリカなどでは、アンティークという言葉はその品物が作られてから100年以上を経たもののことを指し、一方でそれ未満のものをビンテージと呼び倣わします。アンティックかとうの取り扱う品々は19世紀末から20世紀中葉にかけて作られたものが中心になりますので、ちょうどその境目の品々が豊富にあるといえるでしょう。
もちろん、単に古ければよいというわけではなく、保存状態や由来、希少さなどによってアンティークの価値は変動します。そして何より、芸術性の高さがアンティークの価値を決めるといっても過言ではありません。

生活骨董の楽しみ

現代生活の喧噪を忘れさせてくれる華やかなアンティークの数々は、高価なものばかりではなく、廉価なものも多くあります。とりわけ欧米に渡ると、夥しい生活骨董の数々に出会うことができます。
生活骨董とは、珍しくもないが、しかし生活の中で使われていくことで年月を重ね妙味を醸し出すようになった道具たちのことです。したがってこれらの骨董は、戸棚に飾っておくだけではもったいない、普段の生活で使って楽しまなければ価値も半減のように思われます。
手入れの行き届いた純銀製のポットで味わう午後の喫茶、ハンドカットのグラスがテーブルクロスに映し出すワインの色、西洋アンティークと和食器を織り交ぜたテーブルコーディネート・・・。また、その楽しみ方もアンティークの多種多様さ以上に千差万別です。アンティークの魅力と自分の生活スタイルをマッチさせて個々人がそれぞれに自分の世界を確立していく。アンティックかとうでは、そのような生活のなかでの骨董の楽しみ方をおすすめしてまいります。

生活骨董の華・・・西洋磁器

「白色の金」と呼ばれた磁器が東洋以外の地ではじめて作られようになったのは、18世紀初頭のドイツはマイセンです。それ以来、ヨーロッパ全土へと広がった磁器は目覚ましい発展を経てきました。19世紀産業革命以降、富裕層の台頭と歩を重ねるように、磁器は王侯貴族ばかりではなく、銀器に代わる食卓の華として多くの人々に愛されるようになったのです。
ドイツでは世界的な名窯となったマイセンを筆頭に、プロイセン王自らが設立し最高品質を誇るベルリン王立磁器製陶所(KPM Berlin)や、伝統と個性的な絵柄で知られるフッチェンロイター(Hutschenreuther)ローゼンタール(Rosenthal)などのバイエルン、ドレスデン・ブーケで生み出した名工房を抱えるドレスデン(Dresden)などが知られています。
また、イタリア・フィレンツェ公爵によって開かれルネッサンス以来の伝統をもたらしたリチャード・ジノリ(RICHARD GINORI)、デンマークの鮮やかなコバルトブルーの絵付けで知られるロイヤルコペンハーゲン(Royal Copenhagen)、フランスではベルナルド窯(Bernardaid)に代表されるパリ南方の古都リモージュ(Limoges)やエレガンスで繊細な陶磁器を生み出してきたセーブル(Severs)など、ヨーロッパ各地で実用性と芸術性の両面における歴史的な革新が競われるようになりました。
なかでもイギリスは、英国陶工の父として知られ耐久性と芸術性を両立させたウェッジウッド(Wedgwood)、イギリス最古の歴史を誇り二世紀代々の王室御用達とされたロイヤルウースター(Royal Worcester)、華麗な彫刻や革新的技法を培ってきたミントン(Minton)、ボーンチャイナを生み出しその白さと曲線美を特徴とするスポード(Spode)コールポート(Coalport)など、数多くの名窯を生んできました。

芸術と近代の出会い・・・アール・ヌーヴォー

アール・ヌーヴォーとは、ヴィクトリアン時代の19世紀末から20世紀初めにフランスを中心に欧州で流行した芸術様式です。アール・ヌーヴォーは、当時ヨーロッパで流行していたジャポニズムの影響から平面的で装飾的な空間を取り込み、しなやかに流れるような植物模様や優雅な曲線を特徴としています。
ガラス工芸の分野ではエミール・ガレ(Émile Gallé)ルネ・ラリック(Rene Lalique)が最も知られています。(ルネ・ラリックについては、ギャルリーオルフェにて専門的に取り扱っておりますので、興味のある方はご覧ください。)フランス・ナンシー地方ではエミール・ガレを中心に、オーギュストとアントナンのドーム兄弟(Daum Nancy)、アルジィ・ルソー(Eugène Rosseau)、ルマリック・ワルター(Almaric Walter)など、数多くの名手たちがその技を競いました。
当時のアール・ヌーヴォーのテクニックは、現代でも再現が相当難しく、希少な品々となっています。アール・ヌーヴォーは鉄やガラスといった当世の素材との融合によって、フランスの装飾芸術にとどまらず、建築や家具などデザインの世界的な潮流のひとつとして発展しました。また、ティファニー社創業者の息子ルイス・カムフォート・ティファニー(Louis Comfort Tiffany)はアメリカにおけるアール・ヌーヴォーの第一人者としてアート・ジュエリーから銀製品まで幅広いティファニー芸術を打ち立てたことで知られています。

芸術になったジュエリー・・・コスチューム・ジュエリー

コスチューム・ジュエリーとは、舞台コスチュームに見栄えがするようガラスや色石で飾ったことに由来するとされ、貴金属や本物の宝石を使用することなく作られたイミテーション・ジュエリーです。それゆえに、そのデザインはモードにフィットした優美さをもちながらも大胆さや幻想性があり、その美しさは多くのコレクターに愛されてきました。
1920年代にココ・シャネル(Coco Chanel)エルザ・スキャパレリ(Elsa Schiaparelli)クリスチャン・ディオール(Christian Dior)たちが続々とコスチュームジュエリーを発表。素材の価値よりもファッション性や芸術性を重視するスタンスはジュエリー史における革新的な出来事でした。相次ぐ大戦のなかでアメリカはモードの中心パリから離れて独自のファッションを発展させ、ハリウッド女優たちに代表されるように、ジュエリーは女性が自分で選んで身につける時代へと移行したといえます。
スワロフスキーのオーストリアン・クリスタルを用いた豪華なデザインでコスチューム・ジュエリーを常にリードする存在となったトリファリ(Trifari)や、抜群のオリジナリティと東洋的なバロックスタイルで最も美しくコレクション価値が高いと評されるミリアム・ハスケル(Miriam Haskell)、ラインストーンを用いて花やフルーツを模したデザインで知られるワイス(Weiss)など、アメリカを中心に数多くのコスチューム・ジュエリーが生み出され、いまなお多くの人々に愛されています。